2024年6月、箕面市栗生外院にてかつらこどもくりにっくを開業した、院長の桂聡哉です。ここは、30年近くにわたり小児科医の土谷之紀先生が診療していた場所になります。土谷先生とのご縁で、私が同じ場所、同じ建物で開業することになりました。
私が医師としてのキャリアを始めたのは、箕面市立病院です。その後、大阪大学医学部附属病院では小児がんを中心に診療し、北摂地域や兵庫県のさまざまな病院・診療所で小児救急にも携わりました。
こうした経験を活かし、当クリニックでは軽い症状から重い病気まで、幅広く対応し、お子さんたちの苦痛をできるだけ和らげながら笑顔になれる医療を目指します。お子さんと同様にご家族へのサポートにも力を入れ、必要に応じて他の病院への紹介も行います。
地域に根ざした温かな医療を提供できるよう努めますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私が小児科医になったのは、医師、とりわけ小児科医に憧れがあったためです。
1978年、私は長男として生まれました。早産ではなかったものの、体重は2,000gと小さく、生後すぐにNICU(新生児集中治療室)に入院したそうです。入院後、新生児が吐血や下血をする新生児メレナという病気を発症し、輸血を必要とする状態に。小児科医の先生方の懸命な治療を受けて、私は無事に退院できました。
この話を私に聞かせてくれた母は、きっと私に医師になって欲しかったのだと思います。また、私自身も弟の病気がきっかけで、小児科医に憧れを持つようになりました。しかし、医師への道を阻む問題があったのです。それは、血を見るのが苦手だということです。
血を見るのも生き物を触るのも苦手な私は、医師の道を諦め、自分の得意な分野である数学の道に進みました。せっかく助けてもらった命なのだから、得意なことで世の中に還元していきたいと思ったのです。
ところが、大学院で数学を研究するうち、この道で食べていくことの厳しさを知ることになりました。そこで、就職の道を模索することになった時に、再び医師への憧れを思い出したのです。気がつけば血を見るのも生き物を触るのも克服していたので、医学部に編入しました。
紆余曲折ありましたが、私や弟を助けてくれた小児科医と、同じ職に就けたことを嬉しく思います。今後は私が診療したお子さんたちが、いずれは誰かを助けてくれることを願って、日々診療に励んでまいります。
院長経歴
2001年3月
東京大学工学部電子情報工学科卒業
2003年3月
東京大学新領域創成科学研究科修士卒業
2007年3月
大阪大学理学研究科数学専攻修士卒業
その後大阪大学医学部編入学
2012年3月
大阪大学医学部医学科卒業
2012年4月
初期研修医として勤務
(2012年箕面市立病院、2013年大阪大学医学部附属病院)
2014年4月
箕面市立病院で小児科医として勤務
2016年4月
大阪大学医学部附属病院で小児科医として勤務
2024年3月
大阪大学医学部附属病院を退職
2024年6月
かつらこどもくりにっく開業
資格
所属学会